はじめに
このブログは私の自己顕示欲が形になったものです。
フィクションとして読んで頂いても、真剣に読んで親の立場・子の立場両方から共感したり反論したりも自由です。
ただし傷付きやすいので、コメントの表現に困ったら際は優しい言葉を選んでくださいね。ほら、コメントが貰える前提でいる辺り自己顕示欲の塊でしょ?(笑)
いとこ
またここに戻ってきてしまった。
もう必要ないかな、私なりに良い感じの距離感つかめるかな。って思ってたんだけど、やっぱり無理みたいだ。
私の母親(A)は親戚に慕われている。
「何かあればAに話を聞いてもらおう。あの人なら正しい事を教えてくれる」
「自分が道を踏み外した時、優しく諭してくれたのはAおばさんだけだった」
みんな大好きなカリスマA。だから母親は親戚に弱い姿を見せない。
昔から母に言われていた言葉がある。
「いとこはみんな貴方に優しいでしょ?それはお母さんが昔、あの子達に良くしたからなんだよ」
昔は小さな違和感を感じただけで、なんとも思わなかった。
今はこの言葉が大嫌い。
私が私だから好かれているわけでない。あの人のおかげで好かれている。私にはなんの価値もない。そう言われているみたいで、思い出すと悲しくなる。
あの人は私を下げて自分を上げる事が大好きだ。
何かあるとお母さんが同じ年くらいの頃の方が苦労した、お母さんが似たような場面に遭遇した時はもっとうまくやった。と聞かされる。全部私より優れていないと気が済まないらしい。
事実、あの人は頭の回転が早く、口もうまい。
人として正しい事を語りかけてくる。だから大嫌いだ。
「今日はどんな日だった?」と聞かれた事はあっても、「どう思ったの?」とか「大変だったね」とか「嬉しかったね」とか、そう言った寄り添う言葉をもらった事なんて一度だってない。
だいたい途中で「それは違う。あなたはこうすべきだった。それが人として正しい」と言われてきた。
私はあの人との会話が大嫌いだ。対話ができないから。
いまだに理不尽だと思うこと
母親はよく「私を育ててくれたおじいちゃんは米粒ひとつ残さないえらい人だった」と言う。自分も残したくないとも言う。
でも、私が米粒一つ残さず、ソースも残さずに食べると、「餓死寸前の人みたい」とか「乞食みたい」と笑った事が何度かあった。
いまだに理不尽で、意味がわからないし、忘れられない。
考えをコントロールするという事
毒親の条件に「コントロールしたがる」と言うものがあるけど、どこからがそうなんだろう
覚えているのは、小学生の頃テレビを観ていて「私も大人になったら一人暮らしするのかな」と言ったら、母がものすごい勢いで怒ってきたこと
「そんな馬鹿な事考えるんじゃない!」と強い調子で言われて、私は何が起こったのか本気で理解できなかった
高校生くらいだったかな?あの時怒った理由を聞いたら
「あんたはまだ小さかったから、不良みたいな考えを起こさないようにあんたの思考をコントロールしなきゃいけなかったの」と明るく、笑いながら言われた
「そんな考えしちゃだめでしょ」とは、今でも時々言われる。大人になってからは諭すような口調だけど
例えば一度親戚の前で
「一人暮らしを始めてからは米をある程度一気に炊いて、一食ずつラップで包んで冷凍している」
と話したら
「そんな事したら栄養が減る」
と言われた。母はその人の言う事に賛成していた。その場では笑って流したけれど、後で母に
「私はネットや雑誌で大丈夫だとした事があるし、そろそろ冷凍保存の仕組み的に栄養が減るなんて事はない。そんな事も知らないなんてちょっと呆れたし、イラっとしてしまった」
と軽い口調で訴えたら
「そんな事考えちゃだめでしょ」と。
何故だめなのか聞いてみた。そりゃ、もしその場で強く言い返して、その場の空気を悪くしていたら、それはダメな行為だと私でも分かる。
そんな事はもちろんしなかったし、頭の中で何を考えるかは自由なのではないかと続けた
母から帰ってきた答えは
「とにかくそんな考え方をするのは人として間違っている」
という事だった。
じゃあ一体どんな思考回路をもてば良いのか、私は未だに分からない
ふと思い出す事
何気ない生活の中で、ふと幼い頃を思い出す事ってありますよね。
子供の頃好きだったものとか、場所とか。
今日はノートを持った瞬間にそんなフラッシュバックが起こったのでそれを書こうと思います。
思えば私の幼い頃…‥と言っても覚えている範囲なので小学生くらいの事ですが……は「否定される事、ケチをつけられる事」が当たり前でした。
例えば私は昔から文章を書くのが大好きで、小さな頃から小説を書いていました。昔から自己顕示欲が高かったので、両親を始め色々な人に語って聞かせるまでがセットでした(笑)
今日思い出したのは「女の子が不思議な世界に迷い込んで、妖精の男の子と冒険をするお話」と書いていた時の事です。
私「あのね、それでね、妖精の男の子が住む世界はグリーンアームズって言うんだよ」
父「ふーん。変な名前」
「グリーンアームズ! 森の中っぽくて響きもかっこいい!」
とドヤ顔だった私はこの時何も言えなくなりました。
と言うより、語る気がなくなっちゃったんですよね。
てっきり「すごいね」と言われると思ってた。
「面白そうな話だね。今度読ませてね」って楽しみにしてくれると思ってた。
けれど返ってきたのはその一言だけで。
英語を全く知らない子供が考えた名前なので、そりゃあ直訳すると変かもしれません。
でも私は今でもこれがかっこよくて、当時考えた世界観にぴったりな名前だと思っています(笑)
考えてみればこの日から、私は新しいお話を考えても絶対に父には話さなくなりました。
もとより母には話していません。物語系の小説は全て漫画と同じと考える人ですから。
漫画を馬鹿にしているわけではありません。ただ母にとって漫画や小説という娯楽は消費物で、そんな物に一生懸命になってはいけないと思っている人なのです。
話は戻りますが、こんな感じで、昔から私はいつも「ふーん。変なの」だとか「そんな事より宿題はどうしたの」としか言われてこなかったのです。
もちろん、長い子供時代の中では褒められる事もあったのでしょう。でもそれを覚えておらず、ふと思い出す事と言えばネガティブな事……そう思うと、けなされた割合の多さが見えてきます。
あ、宿題云々は親として当然かもしれませんね。ただ宿題終わった後もそれを言われるのはどうなの?とか、感想くらい(出来れば肯定的な)ものを一言くれても良いんじゃないの?といつも思ってしまいます。
あげくの果てにはある日突然、
父「あんたの声は普通の声なんだから、声優なんて考えちゃだめだよ」
と言われたのです。
え、私「声優になりたい」なんて一度も言ってないんだけど…
むしろ考えた事だってないんだけど。
私の夢は小説家だって、もう何年も前から言ってるよね?
と、当時の私は心の底から戸惑いました。
その時の私は、ただ好きなアニソンを聞きながら歌ってただけです(笑)
「どうせなら褒められたい!何をしたら褒めてくれるの?」と気が付いたら思うようになってました。いつからだったっけ?
それで「どうして欲しいの?」と聞くと必ず
「あんたの好きにしなさい」
と言われるんですよね。
分かったー。どうせ何やってもケチつけられるなら好きにするねー。
どうせ事前報告するとまたケチつけられるから、全部事後報告ねー。
って感じで、高校も大学も、大学の学部も、ぜーんぶ自分勝手に決めました(笑)
思えばなんだかんだ言って、けなされはするけれど阻止される事はなかったのです。
本当に「あんたの好きにしなさい」という言葉の通り好きにさせてもらえました。
だから幸せなんでしょう。私の親は言うほど毒じゃない。
でもその行程で生まれた諍いは? 感情は?
私はあと何回「ほら、だから言ったでしょ。失敗するって」と言う言葉に怯えなければいけないの?
どうせ何やってもけなされるなら、何もやらない方が良いよね。
と思いつつやりたい事やるんですよ。基本的にわがままに育ったから(笑)
そんな私の子供時代でした。